センサリーアウェアネスについて

日本でのセンサリーアウェアネスの歩み

ジュディス・O・ウィーバー (2011.12.01)

今わたしたちがセンサリーアウェアネスと呼んでいるこのワークは、エルザ・ギンドラー(1885-1961)によって20世紀初頭にベルリンで始められた ものです。ギンドラー自身はこのワークに名前をつけていません。“センサリーアウェアネス”という名前は、アメリカに渡ったギンドラーの数人の弟子たちの 一人、シャーロット・セルバー(1901-2003)によって名づけられました。

ドイツで生み出され、発展していったさまざまなワークの創始者たちの多くが、ギンドラーと彼女の協力者であるハインリッヒ・ヤコビに学んでいます。なかでも、モーシェ・フェルデンクライスは、日本ではもっともよく知られているのではないでしょうか。

またニューヨークでは、エーリッヒ・フロムやフリッツ・パールズといった心理療法家たちがセルバーに学び、センサリーアウェアネスから大きな影響を受けて います。とりわけ、パールズのゲシュタルト療法の発展には、センサリーアウェアネスが大きく寄与しています。

わたしは1968年にセンサリーアウェアネスを学び始めました。以降、さまざまな場所で、シャーロット・セルバーと彼女の夫であるチャールズ・V・W・ブ ルックスと共にワークを行いました。1971年、当時わたしはエサレン研究所に居を構えワークショップを行っていたのですが、故・伊東博先生のもと、初め ての日本人心理療法家たちのグループがエサレンにやってきました。そこでわたしは、彼らとワークをするよう依頼をうけました。このグル―プは、センサリー アウェアネスの他にも、当時エサレン研究所で行われていたあらゆる種類のセオリーやワークなどに触れ、学んでいましたが、そのなかで伊東先生がもっとも感 銘をうけたのがセンサリーアウェアネスでした。伊東先生は帰国するとすぐに、Japan Association for Humanistic Education (日本名:人現会 )を創立し、チャールズ・ブルックスの著書“ Sensory Awareness – the Rediscovery of Experiencing ”の日本語訳の出版にとりかかりました。(『センサリー・アウェアネス「気づき」-自己・からだ・環境との豊かなかかわり』現在は絶版)

1985年、伊東先生は人現会創立15年を記念してシャーロット・セルバーとチャールズ・ブルックスを日本に招きました。その時、シャーロットはわたし に、彼女に代って日本へ行き、センサリーアウェアネスのワークショップを行うよう頼んだのです。その依頼を受けて、わたしがどれほど嬉しく、期待に胸を躍 らせたたことか!わたしはそれ以前からずっと日本が大好きでしたし、実際、何度も日本を訪れていました。わたしにとって、日本は第二の故郷とも言える場所 だったのです。

それ以来長年にわたって、人現会はわたしのセンサリーアウェアネス・ワークショップを主催してきてくれました。その後は、山路弘起先生、そして村川治彦先生の尽力によって、日本各地でワークショップを開催してきました。

センサリーアウェアネス—より生き生きと、より完全に、あらゆる瞬間にこころをかたむけ、今を生きてゆくこと— のワークショップは、これまで医師・看護師・学生・おおくの異なる分野の医療従事者のみならず、さまざまな職種、さまざまな立場の人たちとともに行ってき ました。このワークは、わたしたちがどんな状況にあっても、あるいは何をする時においても、私たちがより自分らしく、完全に生きてゆくにはどうすればいい のかを探ってゆく実践的ワークです。ですから、このワークは全ての人を歓迎します。そして、あなたがワークを通して得た経験、多くの声、多くの意見を、是 非わたしたちに聞かせてください。

近いうちに、あなたたちに会えることをこころから楽しみにしています。

(翻訳・文責:齊藤由香)

History of Sensory Awareness in Japan

–Judyth O. Weaver

The work that we now call Sensory Awareness was developed by Elsa Gindler in Berlin in the early part of the 20th century. Several students brought the work to the U.S.; one of them, Charlotte Selver, named it “Sensory Awareness”. In Germany many people who eventually developed their own special work studied with Gindler and her colleague, Heinrich Jacoby. Among them perhaps the most well-known in Japan is Moshe Feldenkrais. In New York psychotherapists such as Erich Fromm and Fritz Perls studied with Selver and their work was greatly influenced by Sensory Awareness, most notable perhaps is the development of Gestalt Therapy.

I began studying Sensory Awareness in 1968, traveling many different places to work with Charlotte Selver and her husband, Charles V.W. Brooks. In 1971, when I was living and teaching at Esalen Institute, the first group of Japanese psychotherapists led by Hiroshi Ito Sensei visited. I was asked to work with them. Among all the various teachings the group was exposed to, Ito Sensei was most impressed with Sensory Awareness. Upon his return to Japan, Ito Sensei founded the Japanese Association for Humanistic Education (also known as NingenKai) and he began to translate into Japanese Charles Brooks’s book, “Sensory Awareness – the Rediscovery of Experiencing”.

In 1985 Ito Sensei invited Selver and Brooks to Japan for the 15th anniversary of the founding of NingenKai. Charlotte Selver asked me to go in her place and to please teach SA workshops in Japan. I was thrilled! I have always loved Japan, I had been there many times, it was my second home.

NingenKai sponsored my Sensory Awareness Workshops for many years and then my workshops at various places throughout Japan were organized by Yamaji Hiroki San and later on by Murakami Haru San as well.

Sensory Awareness, a practice of being more alive, more whole, mindfulness for everyone, welcomes to its workshops doctors, nurses, teachers, students, health practitioners in all fields and regular people of all walks of life. This is a practice of how to live more fully, in anything we do. We welcome all people to this work. We welcome your input and feedback from your own experiences. And we hope to see you soon.